毎年ひとつなにかテーマを決めるようにしているのですが、今年の個人的なテーマは「お金」。
今後人生においてずっと掲げる指針、というのはさすがに無理があるので、ひとまず「残りの20代(あと3年半)におけるお金の使い方」について考えてきました。
具体的には、お金の貯め方や使い方、殖やし方など、本を読んだり、ことあるごとに考えたり人に話を聞いたりしているのですが、年末に差し掛かる前に暫定的な答えのようなものが見えてきました。
今回はその暫定的な回答について書き残しておきたいと思います。
これは「回答」なので、正解も不正解もありません。「これ!」と思う答えを個人的に認識しておくこと、それが一番大事だと思っています。
ちなみに、2018年のテーマは「幸せ」について。なにか人生に迷っていたのでしょうか。
2018年は「幸せとは」が個人的なテーマなんだけど、この記事内のキューバのおじさんの話が、ほとんどその答えかもしれない。
オードリー若林正恭39歳の日々「ガールズバーに飽きて、ゴルフに夢中」 #オードリー #若林正恭 https://t.co/laNQdWKqbC
— shimotsu (@shimotsu_) October 10, 2018
回答:「2割は貯蓄、残りは極端な使い方をする」
ずばり、これが僕が出した答えです。ちょっと前にツイートもしました。
今年は「お金」をテーマにいろいろ考えたり、人にいろいろ聞いたりしてるけど、向こう5年くらいの方針が見えてきた。「収入の2割は貯蓄、残りは極端な使い方をする」だな。広く薄くお金を使っても得られるものは少なく想像の域を超えないので、ある領域一点に絞ってぶちこむ方が長期的に良い気がする。
— shimotsu (@shimotsu_) October 6, 2019
可処分所得のうち、2割は貯蓄をし、残りは極端な使い方をする。どういうことでしょうか。要素を分けて考えていきます。
2割は貯蓄に回す
考えようによっては、可処分所得のすべてをなにか1点にすべて費やすということも可能です。いわゆる「一点豪華主義」というやつ。
それもちょっとおもしろそうだなとは思って、それっぽく実践してみようと思った時期はあったのですが、僕には無理でした。
なぜ無理かというと、ある程度貯蓄がないと経済的に余裕がなくなり、それ以外のことが考えられなくなってしまうからです。
以前会社の取締役としてお金の管理をしていた時期があったのですが、会社のお金もなく(制作業は納品後にお金が振り込まれるので、着手から入金までにギャップがある)、それによって自分の個人的なキャシュもなくなる、という事態に陥ったとき、本当にきつかったんですね。そんなこと誰にも相談できないし、吐きそうになりながら暮らしてました。
少なくとも僕は、目の前のお金の余裕がなくなると、もうそのことしか考えられなくなります。
朝起きても、通勤してても、メールを返してても、メシを食べていても、テレビを見ていても、風呂に入っていても、歯磨きをしていても、もうずーっと「お金がない」以外のことが考えられなくなる。
僕が好きなお笑い芸人・ウエストランドの井口さんも似たようなことをおっしゃっていました。
そうなると、余暇の時間になにか「作ろう!」とか「釣りに行こう」みたいな気分には一切ならず、ただ鬱々としているしかないので、これはまずいなと。
なので、そうなることは今後一切回避したい。そんなわけで、ある程度貯蓄は必要だ、という結論に至りました。
2割というのは、手取りの2割です。この割合はそこまで重要ではないですが、その程度貯蓄しておけば、数年後にはしばらく何もしなくても死なない額が貯まる計算になったので、そうしています。
残りは極端に使う
貯蓄する以外は極端に使います。
「極端に使う」とはどういうことかというと、広く薄くちょっとずついいものを買ったり得たりするのではなく、「ここ!」と決めた狭い領域に絞ってお金をガンガン使っていくイメージです。
例えば、いま僕はお金をガンガン使う領域と、使わない領域を明確に決めています。
お金を使う領域
- 釣り(可処分所得の5〜6割はこれ)
- 本(知識の大半は本から得られるので)
- 人とのやり取り
- 新たな体験(特に、今それを得ることが大きな価値になる物事)
お金を使わない領域
- 服(基本、全部ユニクロ)
- 飲み会(最近は月に1回あるかないか程度)
- 不必要に高い食事(食にあまり興味がない)
いわば、僕にとってお金を使う領域で使うことは「投資」であり、お金を使わない領域で使うことは「浪費」と言い換えられます。
このように領域をきっぱり明示的に分けておくことで、躊躇なく使ったり、断ったりできます。
なぜ極端に使うのか
「別に、極端に使う必要はないじゃないか」と思われるかもしれませんが、感覚的にその方が後の人生において大きなリターンをもたらすんじゃないか、といううっすらとした予感があります。幻滅されるかもしれませんが、ある意味打算的です。
特にいまはまだたくさんお金を持っているわけではないので、使う領域、画面、額もおのずと限られてきます。そんな状況で、周りに影響されたり憧れてちょっとずつつまみ食いするように使っていても、通り一遍の感想しか得られないし、経験としても突き抜けられないのでは、と思います。
そうなるくらいなら、その他一切切り捨ててでも、決めた領域にコミットしたほうがおもしろい。そう考えたわけです。
例えばですが、100万円好きに使えるお金があったとして、1万円のものを100個買うより、100万円のものを1つ買う。この方が後の自分の人生にボディブローのように効いてくるんじゃないか、そういう期待です。
ちなみに、この発想は先日思い知った「人生を”生活者”で終えたくない」という考え方に近い部分もあります。
● ● ●
というわけで、2019年ずっと考えていた「お金」というテーマについてはひとまず結論が出ました。
2020年のテーマは未定ですが、また年初にはなにかひとつ設定して考えていこうと思っています。「釣り」とかになるんじゃないかな。
追伸
なお、Time = Moneyなので、上記の話をすべて「時間」に置き換えても全く同じことが言えます。
コメントを残す