少額融資とか個人間決済とか、他人を気軽に後押しする仕組みがどんどん整ってきて、この風潮は加速しているように思う。
ここ最近、なにかプロジェクトや趣味を他人と一緒に楽しもうとする傾向が強すぎるように思う。シェアしたければすればいいと思うけど、ひとりだけで楽しみを見つけて完結することができなくなってしまうと、すべて「他人ありき」のものになってしまうように感じる。
— 下津曲 浩 (@shimotsu_) 2017年8月21日
一方で、そのことについて書いたツイートに対して25以上の「いいね」が付いていることから、それに対する違和感や、拒否感を覚える人も一定数はいるようだ。
別にそうしたやり取り自体を全否定するわけではない。支援が必要な場合だってあるだろう。ただ、僕が言いたいのは「なんでもかんでも他人を巻き込むこと」はいかがなのか、ということ。
他人を巻き込むことで失われるもの。
おそらく、他人を巻き込むことで得られるメリットばかりに注目し、失ってしまうものは考えないようにしているのかもしれない。
誰かの協力を仰いだり支援をしてもらう場合、何らかの成果としてそれを発表する必要がある。これには時間と労力がかかる。場合によっては本筋のプロジェクト以上に骨の折れることになるかもしれない。
本当にそれが好きな人は、誰かに対して評価したり、楽しんでもらうために発表のために準備することに時間を使うくらいなら、少しでも自分の手で前進させたいと思うだろう。
まず、そういう人は自分の好きなことを遂行するのに他人の手を借りることはしないと思うが。
また、常に誰かの支援を募ったり、発表することが当たり前になってくると、やがて自分がやりたいためにはじめたプロジェクトは「他人ありき」のものになっていく。
対価をもらって、それに見合うアウトプットをする。これはもう、ある種仕事をしているのと変わらない。実際、そこまで必要ではないのに過度に支援をしてもらったがゆえに、そうしたストレスを抱えてしまう、という事例も出てくるだろう。
本業としてやるのであれば、どうぞお好きにという感じだが。というか、それは株式会社か。
地方に移住して、ある程度空間的な余裕ができてから、本当に自分がつくりたいものをつくろう、という気持ちが湧いてきたし、実際に作り始めている。
それは別に誰に見せるでもない、ただただ自分が楽しむだけのものだ。だから、自分のペースだけを気にして作れるし、何もかもが自由だ。
まあ、いずれ違う目的でブログには書くかもしれないが、いまこの時代に「ひとりで、自分が、自分のために、自分の欲するものを作る」ことの豊かさを味わっていきたい。
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