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なぜネットラジオはSNSでシェアしたくなるのか?

まあ、「ネットラジオ」に限らず「ラジオ」全般ですが。

とはいえ、公共の電波に乗せられて配信されているものは個人レベルで放送されているものではないものがほとんどなので、例えば僕が月に1回配信している「ShimoQuiRadio」のような、個人レベルで配信しているラジオを対象に考えていきたいと思います。

ShimoQuiRadioでは、「#ShimoQuiRadio」というハッシュタグで日頃ツイートしたり感想を募ったりしています。

#ShimoQuiRadio – Twitter検索

これまで4回ほど放送を配信し、ずっとこのハッシュタグを追ってきたのですが、このハッシュタグのアクティブ率がかなり高いことに気が付きました。

正直、僕のブログの記事がシェアされる回数より遥かに多く、高い頻度でシェアされています。

▼#ShimoQuiRadioのハッシュタグは、1回の放送につきそこそこの数をシェアされる。

精確な数値を取っているわけではないので、ある程度感覚的なことでしかないのですが、「ラジオ、シェアされやすいな」という感覚は間違いなくあると思っています。

一般論として言えるレベルではありませんが、少なくとも僕がやっているラジオについてはそう。

で、この「ネットラジオがシェアされやすい」現象について、その理由をちょっと考えてみたいと思います。

コンテンツにコミットしているので、自然をシェアすることに前のめりになるから。

最初にして、これが最大の理由なんじゃないかと考えています。

ラジオって、正直かなり聴くのにコストがかかります。特にネットラジオは受動的には楽しめないので、自分でpodcastからDLするか、サイト上のプレーヤーの再生ボタンを押さない限り聴き始めることはできません。

また、聴くにしても聴覚を奪われるので、同時に音楽や動画、テレビなどを楽しむことができず、それだけで状況を限定するコンテンツであるといえます。

すなわち、ネットラジオというメディアは、リスナー側のコミットをかなり必要とするメディアなんですね。

で、このコミットメントは、人がそのコンテンツをシェアするのに重要な要素なんじゃないかと思っています。

要は、時間がかかったり、お金がかかったり、そもそも楽しむのが困難なものほど、シェアしたくなるんじゃないかと。

「楽しむのが困難なものほどシェアしたくなる」説

例えば、映画館で観る映画。一般には1,800円と2〜3時間を費やしてやっと楽しむことができます。

だからか、休日になるとTLにひとりは「○○(映画のタイトル)観てくる/観てきた」とシェアしている人をみかけませんか?

それだけの時間コスト・金銭コストをかけている分、やっぱりなんらかの形で回収したいと思うもの。ただでは終わりたくありません。

その、「コンテンツを楽しんだ結果を回収したい」という思いが、シェアにつながっているんだと思います。

だからこそ、楽しむために高コストを要する映画は、あれだけ「観た」ということ自体がシェアされるんじゃないかと。

もちろん、話題になっているから、という事実もありますが、それを差し引いても映画にはそういう効果があるんじゃないかと思っています。

ネットラジオも映画と同じく「回収したい」から

つまり、ネットラジオの場合も映画と同じく、かけたコストを何らかの形で回収したいと思うから、シェアという形につながりやすいんじゃないか、というのが僕の仮説です。

実際、僕も普段よく聴いているネットラジオについてシェアをすることがあるのですが、よくその心理を捉えると「回収」に近いような気がしています。「せっかくこれだけの時間聴いたんだから、なにか形に残そう」みたいな。

どういう形で「回収」させるのかが重要になってくる。

まとめですが、この仮説をもとに考えると、コンテンツ制作者はいかにその「回収」を演出するかというところが問題になってきます。

まだまだ僕も考えている最中なので、この話も抽象的でなにも具体的な解を示せるわけではないのですが、これがなにかの参考になれば幸いです。

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