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【バス釣り】「食えない魚を釣っておもしろいの?」に対する僕の回答

「食えない魚を釣ってなにがおもしろいの?」
「食べられもしない魚を釣るのに、なにか意味あるの?」

バス釣りをしている人が、周りの人に必ずといっていいほど聞かれることです。少なくとも、一度や二度聞かれたことがあるバサーもいるんじゃないでしょうか?

事実、バスは一般的に「臭くて食べられない魚」という認識で、バス釣りをやる人のなかでも、実際に釣って食べているという人はほとんどいないと思います。

シモツ

特に「海釣り」「渓流釣り」など、「食べるための魚釣り」をする人によく聞かれるイメージです。

「バス釣りをすることの意味」は、バス釣りをやる人それぞれに意見が違うでしょう。

僕はまだバス釣りを本格的にはじめて1年未満ですが、結論としては以下のように考えています。

「バス釣りをやるのに意味なんてない。ただ、楽しいからやっているだけ」

ということで、この記事では詳しく掘り下げてみたいと思います。

バス釣りに対する意見「食えない魚を釣って楽しいの? 意味あるの?」

食べられる魚

まず、この問題については「地域性」がひとつの鍵であると考えています。

特に、「釣り」=「海釣り」がメインになっている地域ではこのように考えられることが多そうです。

例えば滋賀県の琵琶湖や富士五湖周辺地域、近畿地方の山間部などはバス釣り人口も多く、それによってビジネスが成り立っている人も多くいるので、バス釣りに対する理解もあります。

「釣り」=「海釣り」の地域かそうでないかによって認識が違う

けれど、僕が住んでいる鹿児島県は海に囲まれており、「釣り」=「海釣り」という常識があります。

実際に海釣りのポイントはめちゃくちゃ豊富にあって、そこで「魚を釣って自宅で食べる」というほうが一般的です。

  • 「釣り=海釣り」の地域:「魚は食うために釣る」という感覚が強い
  • 「釣り=非海釣り」の地域:「魚は食うために釣る」という感覚が薄く、スポーツフィッシングへの理解がある

しかも、バス釣りはスポーツフィッシングなので基本的にはキャッチアンドリリース。

僕もそうです。これまで釣ったバスを食べたことは一度もありません。

なので、「釣り=海釣り」という地域では、「なんで、すぐにアクセスできる豊かな海があるのに、わざわざバス釣り?」という疑問を抱くのも無理はないでしょう。

僕がバス釣りにハマっている理由

僕がバス釣りをやりはじめ、ハマっている理由は純粋に「楽しいから」です。身も蓋もありませんが、これが事実です。

その「楽しさ」を分解すると、ざっくり以下のようになるでしょうか。

  • バスフィッシング特有のゲーム性:こんなにルアー、釣り方が豊富な釣りは、世界中どこを探してもバス釣りしかない
  • 身体を動かす気持ちよさ:普段デスクワークばかりしているので、アウトドアは楽しい
  • ラインごしに感じる魚の引き:これがおもしろいからやってる
  • 「獲るか逃げられるか」という非日常的な緊張感:ファイト中はめちゃくちゃドキドキする。日常にはないタイプの緊張感がそこにはある
  • 生物としての「狩猟本能」が満たされる:魚を釣ったときは、謎の全能感に浸れます

いろいろ頭で考えて「それらしい理由」を並べてみたのですが、結局、「魚がかかった瞬間の興奮、緊張感がたまらなく楽しいから」に尽きます

しかも、それが、生き餌じゃなく、自分が選んだルアーで、自分が起こしたアクションによって魚が反応して食うと、それはもめっちゃくちゃに気持ちいいわけです。

まだまだバサーとしては駆け出しの僕の意見ですが、たぶんバス釣りをやっている人の理由って、いろいろ見聞きする限り、おおむねこんな感じなんじゃないかと思います。

「バスを釣ってリリースすること」に意味なんてない

「では、あなたが生きている意味は?」

「バス釣りをすることの意味」について考えれば考えるほど、この問いにたどり着きます。

「バス釣りをすること(食えない魚を釣ること)に意味がない」と投げかけてくる人は、たいてい「意味のある活動にしか価値はない」思っている可能性が高いのです

そもそも、そう思っているからこそ、そうした疑問が思い浮かぶわけで。

僕は、そう聞かれたら「では、あなたの人生の意味は?」という問いが頭に思い浮かびます。

結論をいうと、「バスを釣ること」も「自分が生きていること」も、別にどこにも意味はないと思っています。人生そのものと、人生におけるすべての営みに「意味」を求めることこそ「無意味」だと考えています。

ですので、ぶっちゃけ、「釣ってリリースすることになんの意味があるんだ……」なんて深く考えたことはありません。別に、そこに意味なんてないので。

極論ですが、人間という生物として「食べるために釣る」ことも、「楽しむために釣る」ことも、大差ないと思っています。どちらも同じくらいの罪深さがあるのです。

ただ、「魚体を傷つけている」という自覚は持っている

ただ「釣るたびに、魚体に傷をつけている」という自覚は持つようにしています。

バスが釣れるということは、バスの口の周りに針が刺さるということなので、当然、そのあたりの皮は裂けてしまいます。釣ったあとのケアが不十分であれば、そのまま死んでしまうこともあります。

ですので、釣った場合には、釣った針傷以上のダメージを与えないように最大限にケアをするように努めています。

少なくとも、バスを釣ったときは以下のあたりには気をつけ、リリースするようにしています。

  • 夏場はコンクリート上に魚体を置かない(熱で火傷するため)
  • 針を外す時などに時間がかかりそうなら、ちょこちょこ魚体を水中に戻しつつ作業を行う
  • メジャーで体長を測るときは必ず濡らしてから測る
  • バスを持つときは、極力垂直にするか、地面と平行にする場合は両手で支えて顎付近に負担がかからないようにする

ルアーメーカー・O.S.Pの代表である並木敏成さんも「バスがいてこそのバスフィッシングなので、ケアはしっかりすべき」としきりにおっしゃっており、実釣動画でも、そのための知識や啓発を行っています。

あと、木村建太さん、ノリーズのプロスタッフである伊藤巧さんあたりも、バスのケアについては動画やSNSで常に発信されており、都度学習して取り入れるようにしています。

ちなみに、バスは食べられないわけではない

ちなみに、バスは臭いことは間違いないのですが、当然食べられないことはないそうです。

以下の動画の配信者は、「食べるため」にバスを釣り、実際に締めて調理する流れを動画で解説しています。

普段、バスをしめようなんて考えたこともなかったので、この動画はちょっと衝撃的でした……。笑

でも、「生物の営み」という視点でみると、「獲って、食べる」という、どの世界でも当たり前のように行われていることなんですよね。

あと、調理された料理は普通にウマそうで、食べてみたいとも思いました。

まとめ

個人的に、バス釣りをすることに特に意味は見出していません。これからも「バスを釣る意味とは…」なんてことをこれ以上考えることもないと思います。

ただ、バス釣りはとにかく楽しい。だから続けています。

このあたりの意見は人によって多少分かれると思うので、もし、これを読んでくださるバサーの方がいましたら、ぜひご意見お聞きしてみたいです。

ちなみに、バスを釣ることの是非については、糸井重里さんの『誤釣生活』のあとがきもとてもおもしろいので、気になる方はぜひ読んでみてください。さすが、糸井さんの視点は一般人より鋭いと感じました。

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