釣りのおもしろさは、言葉にできない。

釣りのことをブログに書いたり、Twitterでつぶやいたりしているので、たまに人に会うと「釣りの何がそんなに楽しいのか?」と聞かれることがあります。

釣りをするようになってから、「釣りの醍醐味はどこにあるのか」「どの瞬間が楽しいのか」ということに対してアンテナを立てて自覚するようにも務めていました。

そんななか、先日その問いについての答えがふっと急に降りてきました。それがこちらのツイート。一言でいうと、僕は釣りのおもしろさを他人に伝えることを諦めました。

この話は、大きなふたつの気付きが元になっています。

この内容が今の自分の考え、感覚とびったり合致しているので、現時点での暫定的な答えとしてブログにも書き記しておこうと思います。

「釣りのおもしろさ」を人に話すも、なんかしっくりこない

これまで、リアルで対面した人に、自分が「釣りの何がおもしろいと思っているのか」を話す機会は何度かあったのですが、自分で話した内容であるにもかかわらず、いずれも完全にしっくりくるものではありませんでした。

例えば、バス釣りの場合は「ルアーで擬態させ魚を食わせるまでのプロセスが楽しい」とか「数多ある種類のルアー、釣り方のなかで自分がハマるスタイルを見つけるのが楽しい」とか、まあそれっぽいことはいくらでも言えます。

そうして、なんとなく「こうだろうか…?」と思っている内容を話すのですが、出てくる言葉はどれもどこかで聞きかじったようなワードばかり。「これだ!」と思う表現、感想が見当たらず芯を喰った意見を言うことができませんでした。

だから、いつも話したあとに「本当はそうじゃないんだけどな」と、消化不良になる感覚に陥ります。

実際、僕がフィールドで感じていることの20%、よくて30%くらいしかおもしろさは伝わってないと思います。

釣りのおもしろさを言語化することは無理なのでは?という気付き

そこで「なんかもっといい言い回しはないかな?」とか「一発で釣りのおもしろさがわかる表現はないのかな?」と考えていたのですが、2周くらい回って、とある境地にたどり着きました。

それが、「そもそも釣りのおもしろさを言語化することなど到底不可能なのでは?」ということです。

僕はこれに気づいた時、むしろめちゃくちゃ腑に落ちたのです。「そうやんけ」と。これがまずひとつめの気付き。

世の中には、言葉にならない感動はいくらでもありますが、釣りのおもしろさはまさにその「言葉にならない」カテゴリに類するものなんじゃないかと、ふと気づいたのです。

なぜなら、釣りの一連の動作に言葉がいらないからです。

ルアーをキャストして、リールで糸を巻いて、魚に食わせて、巻き上げて、捕まえる、という流れの中に少なくともなにかを言語化する工程は含まれません。ヒトと魚という、生き物対生き物の、完全なるフィジカルのやり取り。釣りは、超原始的な営みなのです。

そもそもの工程に言語化する余地がないから、「どう楽しいか?」と聞かれても、「なんかよく分からないけど、ブラックバスはめっちゃ引いて楽しい」くらいのことしか言えないのです。

「言語化」によって、情報の大半は削ぎ落とされる

これは本当に「やってみないと分からないでしょう」という感じなのですが、釣りをやっているとめちゃくちゃおもしろい瞬間がたくさんあるのですが、それを言葉にするなんて無理なんですよ。マジで。

もし、仮にひとつひとつ丁寧に言語化したとしましょう。

でも、水辺に立ってそれを一次情報としてダイレクトに味わう感覚と、言葉で得る情報は天と地ほども違うのです。

自分が得た感覚を言葉にするプロセスで、「言葉にならない感覚」は当然抜け落ちていきます。結果、残った「言葉にできる感覚」の集合体が、人の口から出る感想や意見になります。

釣りの場合は、この「言葉にならない感覚」が大きすぎて、感じたことのほとんどが言語化のプロセスで落ちていきます。だから、人にどれだけその楽しさを伝えようとしてもうまくいかない。それが、冒頭の「しっくりこない」ことの原因だったのです。

ちょっと暴論かもしれませんが、「言葉にできるおもしろさ」は、言い換えると「言葉にできる”程度”のおもしろさ」なんじゃないかと思います。これは言い過ぎですか?

無理に言語化しなくていい。なぜなら、人に薦める気がないから。

ですので、僕は釣り楽しみを、それを知らない人に伝えることを諦めました。

「じゃあ、今後はどうするのか」という問題があるのですが、そもそも、別に伝えなくてもいいじゃないかと。これがふたつめの気付きです。

なにかを言語化する意味は、人に伝えるためです。人間は「言語」というツールを使って、自分の考えを他人と共有します。そうやって文明は発展してきました。

なので、逆に言うと「そもそも他人に伝える必要がない場合」は、無理に言語化する必要がないといえます。フィールドで味わっている一次情報が100%得られる情報であって、それをあえて言語化することで低い解像度に落として他人と共有することをしなくてもいい。

僕は他人に対して釣りをすることを薦める気は一切ないので、言語化する必要がないと気づいたのです。この楽しみは、いちばん分かっている自分だけが知っていればいい。趣味の最大の目的は「自己満足」なので、これが最も健全な姿勢とも言えます。

そしてこれは、釣りに限らずほとんどすべての趣味に言えることです。

釣りを本格的にはじめて10ヶ月ちょっとと、まだまだ初心者に産毛が生えた程度ですが、この感覚を得られたのは大きな収穫です。

まとめ

ということで、「釣りのおもしろさ」に対する、今の率直な気持ちを書いてみました。暫定的にはこのようなことを考えています。

これを「思考の放棄だ」と考えるか、「たしかにそうだな」と考えるかは、あなたの自由です。

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